2017年11月15日〜11月30日

読んだ本とか、プレイしたフリーゲームとか。
最近はフリーゲーム熱が熱いような、そうでもないような。
本は新規ジャンルを開拓しようとして当たり外れを繰り返す日々。
「お、おう……」と思った本はさっさと忘れるに限る。忘れろ。



 

水に埋もれる墓

水に埋もれる墓

 

腹の中で人に聞かれず自分でもうまく聞き取れず何だか蠢いているものを舌まで引き上げて、舌でこねて、形を与えちゃいけなかったんです。

 

くらべる値段

くらべる値段

 

なにか安いものが売ってあると「値段相応」という真理よりも、「誰かが努力していいものを安く売ってくれている」という、自分に都合のよい解釈が湧き上がるように思います。

『戦刻ナイトブラッド』豊臣軍テーマソング「HEN-GEN-JI-ZAI」

『戦刻ナイトブラッド』豊臣軍テーマソング「HEN-GEN-JI-ZAI」

 

 

九年前の祈り

九年前の祈り

 

窓を背にしたみっちゃん姉のすぐ後ろに悲しみが立っていた。
それはみっちゃん姉のそばにずっといたのだけれど、日の光の下では見えなかったのだ。
哀しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし、みっちゃん姉の方を優しくさすっていた。
しかし悲しみが行なうそんな慰めの仕草は、さすられる者とそれに気づいてしまった者の心の痛みを増すだけだった。

赤児の泣き声が暗闇にうっすら赤い光を放っているとしたら、鳥のさえずりに似たおばちゃんたちの声は、鳥たちが朝を連れてくるように光を呼び寄せる。彼女たちが座ったあたりは澄んだ光で包まれている。だからもし不愉快そうなため息や腹立たしげな咳払いが聞こえてくるとしたら、それは赤児の泣くのがうるさいからではない。その光のせいだ。
それが眠りたい乗客たちにいやがおうでも朝の訪れを突きつけてくるからだ。
おばちゃんたちはまるで眠りを邪魔された他の乗客たちの中に生起した否定的な感情を、泣き叫ぶ子からひとえに自分たちに引き寄せるために、大きな声で喋り散らしたかのようだった。
彼女たちはいまどうしているのだろう?
いま、みっちゃん姉を追いかけながら、さなえは一緒に旅をしたあの人たち全員に会いたいと思った。

「そしたら、みっちゃんが泣いてなあ……。泣かんでもいいじゃねえかって言うわたしも泣いておってな、一緒に泣いたんじゃ。そんとき、わたしはみっちゃんが泣くんを初めて見た。あげえ明るい人じゃけどな、さなえちゃん、どこの世界に明るいだけの人がおるんか……。そげな人がおったら、そら、ただの馬鹿じゃ……」

しかしトシは黙っていた。
こんなにも虫やカエルが鳴きわめいているのに、そしてこのやかましいが力強い命の律動を刻む音楽が月明かりに照らされた世界に満ちあふれているのに、トシの隣に座る、こんな痩せ細り貧弱な空虚すら満たすことができないからだ。
「おる」と空虚が鳴った。

 

心の整理学 (PHP文庫)

心の整理学 (PHP文庫)

 

心の整理学は悩みを顕微鏡で見ないで裸眼で見るための方法である。実際には「10キロ」の重さを心の中で「100キロ」にしない方法である。

今日一日健康で生きられることの上に会えた人が、「自分が」会うことのできる人なのである。
今日一日健康で生きられることの上に出来た仕事が、「自分が」できる仕事なのである。
今日一日健康で生きられることの上にできた勉強が、「自分が」できる勉強なのである。

捨てて残ったものを大事に磨いていくことが大切である。
人がついつい自分の器を超えて間口を広げるのは不安だからである。
また、不安を解消するために認めてもらいたいからである。

今問題になっていることは上手くいかなくても、他のことは上手くいっている。
それをきちんと理解する。それは自我境界を鮮明にするということである。
仕事は上手くいっていないが、家庭は上手くいっているとか、友人関係は上手くいっているとか。

被害を最小限に食い止めることが、心の整理学である。

 

 

 

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キャンセルされた街の案内

キャンセルされた街の案内

 

軍艦島が恐ろしいのは、無人の高層アパートが林立しているからではない。
そこに人が暮らしていた痕跡があるからだ。
結局、あの島へ喜んで渡っていった奴らは、怪奇映画のスリルを味わいたかっただけなのだ。
その証拠に、島へ入って一時間もたてば、彼らは瓦礫の中を歩くのに飽き、高層アパートの廃墟に飽き、捨てられた島に飽きた。
大洋にぽつんと浮かんだ島に立ち、廃墟の街を案内していると、上空から何者かが見下ろしているような気がすることがあった。
もちろん見上げてみても、そこには空以外なにもない。
ただ、見上げていた視線を戻し、再び街の案内を始めると、やはり誰かが、袋の中でも覗いているみたいに、僕の姿を見下ろしている気がするのだ。